今日は施設での外食について考えてみようと思います。
施設で「外食」というと、
- 行事扱いになるため起案書作くところからはじめないといけない
- 車椅子対応可能な環境の店になるから選択肢が狭まる
- みんなが行かないと不平等
などといった意見を多く聞いてきました。
また、外食にかぎらず、利用者の外出に関して、
- 体力的に大丈夫なのか
- 出先で何かあったらどうするのか
等、消極的な考えの人も多かったです。
それ言われるともはや何もできないように思いますが…
私がいちばん驚いたのは
「施設で同じようなもの出せるんだから、わざわざ食べに行かなくてもいいじゃない」
というものです。
何かひっかかりませんか?
食事の目的は単なる栄養補給だけじゃありませんよね。
食べたいものを食べたい時に食べたい人と食べたい場所で。
そういう要素が生きがいをもたらせてくれます。
何なら、行事と称して家族も呼んで家族と一緒に食事してもらうのもいいですね。
食事を栄養目的としかみれず、外食や持ち込みを否定するのは、対人援助者としてどうなのかと思います。
外に出て社会に触れるということは、それだけで社会に参加しており、社会と一因という実感がもてます。
自分のしたいことを自分で選び行うことが、たとえそれがその人にとって多少不便なものになろうとも、達成感や満足感、生きがいにつながります。
安全の名の下、職員が一から十まで決め、それをすすめるというのは、諦めや意欲低下につながりかねず、
「●●さん、最近元気ないね」
と、
そうなった理由も予測できずにみてしまい、
「じゃあ、安静にしようか」
などと、ますます元気がなくなるような対応をとってしまうのです。
自分におきかえてみてください。
自分の人生を自分で決められないということは、相当なストレスになりませんか?
それが、何年も何十年も続くとしたら…
何もかもどうでもよくなったりするんじゃないでしょうか。
生きるということにおいて、私たちは様々なことを「選択して」動いていますよね。
起きてからの行動、着る服、その日の過ごし方…
それこそが「自律」です。
不平等?
じゃあ個々に行きたい場所を調べ、施設の対応力と照らしあわせながら、少しずつ行っていけばいい。
そもそも、皆が皆外食ニーズがあるとは限りません。
(不平等とか皆に同じ対応はできないとか言う人は、当然他の人達の外食ニーズを把握してるんですよね?)
何かあったらどうする?
何かあってもいいような体制を整えればいい。
もちろん100%防ぐことはできないので、その部分はしっかり本人や家族に説明しておく必要がありますが。
食事に限ったことではないですが、
利用者の自主性を引き出し、
少しでもイキイキとした毎日を送れるようなケアをしていきたいものです。