認知症をもつ人へのコミュニケーションの取り方は本当に難しいと思います。
進行度合い、その人その人の生活歴、習慣、性格…
これらが混ざり合い、様々な症状
いわゆる「周辺症状(BPSD)」が起こります。
このBPSDが、介護者が感じるストレスの中で、多くの割合を占めるのではないでしょうか。
食べ物じゃない物を口に入れる(特に排泄物…)
ブラシで歯を磨こうとする
お風呂の栓をせず水を出しっぱなし
暴力暴言
昼夜問わず歩き回る
家(施設なら自分の部屋)に帰ってこれない
失禁
などなど…
これら全てを真正面から受け止めると、
あっという間に介護者・職員のストレスは溜まっていきます。
在宅であれば24時間365日の終わりが見えない介護、
施設であれば他の仕事をしながらもそういった人の対応をしなければならない
(更に周囲との人間関係も)
「何で言うことを聞いてくれないんだ」
「何でこんな大変な人を利用させたんだ」
と、思ったことがある人もいるでしょう。
そういった認知症対応におけるコミュニケーション、誘導の仕方の一例を紹介します。
介助の場面で「どの部分がわからないのか」を調べる
ひとくちに「認知症」といっても、
その中で
誘導内容のどの部分がわからないのか
をつかむことが大事です。
例を出して説明します。
利用者がわからないであろう部分を調べたうえでのアプローチの例
例えば
「トイレの仕方がわからない」
という例があったとしたら、
トイレということがわからない(事業所のトイレのつくりが自分の思っているトイレと違う)
のか、
立ち方がわからないのか、
ズボンの下げ方がわからないのか、
排泄の仕方がわからないのか…
といった感じです。
そのように分析していくと、わからない部分に応じた対応が必要だと気づきます。
そこに更に、言葉の意味を理解し、なおかつそれを実行することができるかを見ます。
言葉だけでは通じていなそうならこんな感じで、
「文章と絵」
にするとわかりやすくなります。
もしくは、
手を動かしてバーに掴まってもらったり、
「バー」
ではなく、
「前の白い棒に掴まって下さい」
などと声かけを工夫すると通じたりします。
一度に多くの話をしない
認知症の人は、一度に多くの話をされると混乱すると言われています。
例えば、
「トイレに行くのでそこのバーに掴まって立って下さい」
などです。
この場合、
トイレに行く
そこ
バー
掴まって
立って
と、5つの情報をいちどに伝えています。
これでは、伝わるものも伝わりません。
我々もいちどに色々なことを言われればついていけないか、ひとつふたつは抜けたりしますよね。
特に認知症はそれが顕著です。
そんな声かけをしていると、途中から不自然な行動をとり、
記録に「不穏」と書かれたり、
いきなり全介助にされたりしてしまいます。
情報は短くシンプルにし、
ひとつひとつを区切って声をかけてみて下さい。
「トイレに行きますよ」→「白い棒に掴まって下さい」→「立って下さい」
といった感じです。
これらを繰り返すことで生活動作の中の
「どの部分がわからないのか」を掴みやすくなります。
そしてその一連の動作の中でつまづく部分を見つけ、その部分をサポートしてあげると良いと思います。
こういった取り組みをすることで、
立てないと思って無理やり抱えて移乗する
(不安・恐怖心から座ろうとし、お互い負担が大きくなります)
とりあえずオムツ対応にする
といった
「考えないその場しのぎの対応」
にならずに済むかもしれません。
利用者の能力を奪わずに済むこともある
上記の分析をすることで、
利用者の「できる部分」
についてより細かく知ることができます。
「トイレの場所はわからないけどおしっこの出し方はわかるんだ!じゃあトイレの場所がわかるようにすればいいよね!」
といった感じにです。
ちなみに私はこの考えのもと、分析を繰り返すことで、
立てないと思われていた人を毎日トイレ誘導をしていました。
だってパットには出てなくて、トイレに座ったら勢いよく出ることをたまたま知ったから。
今いる場所がトイレかトイレでないかの区別がついているんだと思って取り組んだわけです。
まだまだできる部分が沢山あるかもしれませんよ。
認知症の人がもつ心理
次に、認知症の人の心理状態についてみてみます。
認知症の場合、記憶障害のため、今まで知っていたこと、できていたことが徐々にできなくなってきます。
しかしその中で、利用者は
今自分がわかっている(覚えている)知識をフル稼働し、その状況に応じた本人なりの最良な行動をとっているのです。
ワザと「おかしな行動」をとっているわけではありません。
これを最初に書いた「困りごと」に少し当てはめてみましょう。
①食べ物じゃない物を口に入れる
→「目の前に何か見たことのない茶色いものがある。まんじゅうかな。ちょうどお腹も空いてるし、食べれるかな。口にしてみよう。」
(空腹ということ、目の前の物体をもつこと、口に入れ食べることはできるが、目の前の物体が何かわからない。もしくは、丸めたおしぼりをちくわだと思うなど、自分の覚えている食べ物と勘違いする)
②お風呂の栓をせず水を出しっぱなし
→「夜だし風呂を入れよう。ん?この黒い丸いのは何だろう。わからないから触らないでおこう。次はこのレバーを入れればお湯が出るな。
あれ?全然あったかくならないしお湯も貯まらないぞ。」
(風呂を入れることはできる。その一連の動作にあたり、栓をすること、レバーをお湯に合わせることを忘れている。)
といった感じになります。
おわりに
認知症だからといって、
全部が全部できなくなった、何もわからなくなったわけではないです。
上手く分析できて、その人の「忘れている部分(失った記憶)」にアプローチができれば、その人にとって
より過ごしやすい生活になるのではないでしょうか?
それに、こういった考えをもっていれば、
万が一そういう場面にあっても自分へのダメージが軽くなったり、アセスメントに入れ込むことができたりします。
結構楽しいですよ。こういうことを考えるの。