あるテレビ番組で、
実際に身体拘束を受けてみる
という内容のものがありました。
こういうケースを見るたびに思います。
何の意味があるのか?と。
テレビでは、
身体拘束を体験→「酷い、悲しい」という感想…
という流れでした。
「こんなに酷いことはしないでおこう!意識を変えよう!」
という流れにもっていきたいのかなと思います。
でも、考えてみてください。
身体拘束を受ける側が「辛い」というのは、見ればわかります。
そこまで感覚が麻痺しているわけじゃありません。
身体拘束をせざるを得ない事情(利用者の状態の変化・他利用者の安全面・人員・ハード面など)
があって、やむなく行っているのです。
意識が低いからではないし、職員が楽をしたいからでもない。
意識どうのこうではなく、
「身体拘束をせざるを得ない原因」
を調べていかなければなりません。
簡単に
利用者が苦痛だとわかるでしょ?→じゃあ、やめよう!
とはならないのです。
同様に、
オムツ体験
ミキサー食体験
車椅子体験
もそうです。
それぞれ、そうせざるを得ない事情がある。
心身状態の変化で、車椅子やオムツが必要な人がいるのです。
我々が真似するのとは根本的に状況が違います。
それを上辺だけ真似したところで何になるのでしょう。
オムツの中に排泄する不快さ、
ミキサー食の違和感、
車椅子の座位環境の悪さ、
そんなことはわかっています。
仮に、「利用者にとって不快だからやめよう」
という話になったとき、
「どうやって?見込みはあるの?」
となります。
常時失禁で座位が取れない人をどうやって安全にトイレ誘導する?
咀嚼や嚥下に難がある人にどうやって安全に常食を食べてもらう?
歩けない人をどうやって椅子まで誘導する?
それらを行なって他の業務に支障が出ない?
(サービス)残業の嵐にならない?
職員の腰などに負担はかからない?
まさか職員の根性にでも頼る気?
そういうことです。
意識ひとつでどうにかできるものじゃありません。
やるなら入念なアセスメント、リスクへのフォローなどの下準備が必要なのです。
うがった見方をすると、
「利用者の不快感も知らないおまえらに体験させてやるよ。どうだ、不快だろう?なら取り組みするべきだよな?何とかしろよ。」
と思われてるような気がしてなりません。
そんな利用者体験に何の意味があるのでしょうか。
しかも大体短時間、短期間で。
何事もそうですが、
意識を高く持つのはいいことだと思います。
だからこそ、入念な情報収集、下準備をし、少しづつ取り組む必要があるのではないでしょうか。
〜今日の一枚〜
HILLBILLY HEADHUNTERS 「DOWN DEATH ROW」
スイスのサイコビリーバンド。
ミニアルバムながら曲もバラエティに富んでいます。
中でも「HILLBILLY HEADHUNTER」はクラブヒットナンバーでもあり、フロアで流れたらパンチ合戦が起きることも。