介護系の発信者・講師の一部に、
介護職は
感動、感謝、喜び、やりがいを感じる素晴らしい仕事だ!
と言う人がいたり、
利用者、特に認知症対応について、
心を通わせることが大事
想いがあれば相手に伝わる
利用者への愛があればわかってもらえる
なんていうことを高々と掲げている場面を見かけます。
気持ちはわからなくもないですが、
そんなハッキリとしない表現で介護現場に何かヒントになるのかと思います。
理由は、
耳触りのいい言葉だけで、それに対して何をしていくべきかといった「具体案」がないから。
ここがなければただ綺麗事を並べただけにすぎません。
「言いたいことはわかった。で?何をすればいいの?」てなるわけです。
先に書いた、
「介護職は感動や感謝、喜びを感じる仕事」
というのもそう。
介護の仕事を選んでもらうためのアピールポイントが、感動や感謝?
ドライな考えかもしれないけど、それだけで生活はできないし、
だったらボランティアでもいいでしょう。
そっちの方が自由に動けますよ。
生活をするための「仕事」として介護の仕事を選んでもらうには、
感動や感謝なんてフワフワしたものじゃなく、
事業所の特色や福利厚生、待遇などを、
良いところも努力が必要な所も真摯に説明したほうがよっぽど魅力的に思えます。
そして、
心を通わせることが大事
想いがあれば相手に伝わる
利用者への愛があればわかってもらえる
といった表現ですが、
具体的に何をするんですか?
ここがはっきりしないから、理想論だのキラキラ系だのって言われるんですよ。
利用者、特に認知症の人の対応についていうなら、そんなハッキリしない言い方ではなく、
記憶障害に対するアプローチ方法の工夫や配慮
及び最低限のマナーや礼節
なのではないでしょうか?
それが結果として、「心を通わせる」ということになるのだと思います。
と、こういう風に書けば少しはイメージできませんか?
利用者が、どの部分がわからなくなっているのかを分析し、その部分にアプローチをする。
トイレに関してのブログ↓
https://www.kaigobilly69.net/entry/2019/09/22/023131
でも書きましたが、トイレを拒否する利用者の例で言うと、
トイレを「トイレ」として認識していないのではないか、
出し方がわからないのか、
服の着脱がわからないのか、
介助者が一度に複数の依頼、誘導をしていないか
等、
ここを調べて、その「抜け落ちた記憶」を補ってあげればいいわけです。
これは食事など、他の場面でも活用できます。
こうした対応の方がよっぽど具体的で、何から始めたらいいかも見えてきやすいです。
綺麗事や耳触りのいい言葉だけが飛び交う現場は、それだけだと様々な解釈をされ、利用者や職員に過度な負担をかけてしまったり、
利用者の現在の状態にそぐわない対応を続けたりすることにつながります。
綺麗事を言うなとはいいませんが、
せめてその言葉に対して、具体的に何をすべきかくらいは明確にしてほしいもんです。
トップが綺麗事を言うだけで対応は現場に丸投げなんて最悪ですよ。(経験者)