闘え!介護職

介護施設での実体験、学んできた知識等を書いていきます。主に施設の介護職員向きです。現場での悩みや葛藤に対し色々な考え方や方法を提案するという形で闘っていきます。

介護職に自己犠牲は必要か?

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介護の仕事をしているとしばしば、

職員の自己犠牲を強いられるような風潮、主張を目にします。

 

自己犠牲というと聞こえは悪いですが、

例えば、

・勤務外や休日に買い物などの利用者関係の事をやらざるを得ない状況。

・認知症などが原因での暴力、セクハラなどに対策を練らず、職員の我慢や根性論、中には状況も知らないのに「職員の介護の仕方が悪いから」と決めつけるような心ない言動。

・災害時などに「職員は自分や家族のことよりまず利用者対応にあたるべきだ(出勤するべきだ)といった主張・風潮。

・休日なのに自主的に会議に来る。

 

ひとつくらいは皆さん見聞きした事があるんじゃないでしょうか?

 

これらをひとつひとつ書いていくとそれだけでブログが終わってしまいそうなので、

これらを踏まえた上で、

「介護職に自己犠牲は必要なのか?」

という内容で私の考えを書いていきます。

 

介護職に自己犠牲は必要か?

「何で介護職ばかりに言ってくるん?介護職だけで利用者の生活を支えてるわけじゃないだろ?」

…という話は置いといて(笑)

 

表題についてですが、これはつまり、

仕事の意識の持ち方

なんだと思います。

 

仕事の意識、皆さんはどうでしょう?

 

利用者のためならプライベートの時間を使っても気にしない・気にならない派

プライベートを犠牲にしてまで利用者のことを考えるような人、そうすべきという意識。

 

これは冒頭に書いた、

・勤務外や休日でも買い物などの利用者関係の事をする、したい人。

・認知症などが原因での暴力、セクハラなどに対して、その理由や背景を考える前に、

「私たちの対応が悪いから」

と考える人。

・災害時などに「職員は自分や家族のことよりまず利用者対応にあたる人(自主的に出勤する人)

みたいな考えのタイプです。

 

ひとりふたりはいるんじゃないでしょうか?

 

仕事は仕事と割り切る派

仕事は仕事と割り切り、勤務時間が終わればサッと頭を切り替える人。

 

勤務時間は自分の仕事を淡々とこなし、勤務が終わればさっさと帰る(帰れる状況なら)人。

 

与えられた仕事はこなすが、冷たい印象を持たれやすいです。

 

比較的若い職員に多いかな?

 

仕事に対しどういう意識を持つべきか

前述した2パターンの考え、どちらのタイプも見かけます。

 

ただ、介護の仕事が「福祉」という部分で、

言葉のイメージなどで、

「自己犠牲は当然!」

ていう考えになりやすいのかなと思います。

特に部外者・第三者が。

 

反面、「仕事」なので、勤務時間が終わっても仕事のこと(利用者のこと)を考えたりしているのは、

「公私の区別がついていない」

ともとれるし、

介護保険事業という特性上、ケアプランに沿った対応しかできません。

 

それを一部の職員が良かれと思ってプライベートまで利用者のことをしたりすれば、

サービスに差が出るし、

下手すれば不正を疑われます。

 

利用者のことを思う熱いハートは理解しますけどね。

 

ただ、どちらも仕事に対しての考えであって、

ワガママとかそういうものじゃありません。

 

そういう考え方があるのは受け止めても良いと思います。

 

自己犠牲は必要ない

これらを踏まえての私の意見ですが、

職員の我慢や根性論任せの自己犠牲は必要ないと思っています。

 

それは、先程も書きましたが介護保険事業だから。

たとえ利用者のためだろうと、職員の自己犠牲に頼るものはいずれ破綻しますし、

休日に自主的に利用者の対応をするようなものはケアプランに入るはずもなく、

ケアプランに入っていないものは勝手にできません。

 

もし職員が休日に対応しなきゃいけないようなものがあるとしたら、

それをサービス担当者会議に出して、ケアプランに入れてもらう必要があります。

それはすなわちアセスメントに基づくものなので、そこで利用者にとって必要かどうかがわかります。

理由があって休日に利用者対応したいなら、勝手にやらないで正式な手順を踏んで堂々としましょう。

勤務時間でね。

 

そもそも利用者からすれば、職員の仕事の意識の持ち方なんて関係ありません。

どういう意識であれ、ケアプランに沿った対応をしてくれれば、つまりは仕事さえしてくれればいいわけだから。

暴力やセクハラが起こらないために

利用者からの暴力やセクハラについてですが、

「薬だ!」「入院だ!」「拘束だ!」

って言うつもりはありません。

 

かといって、職員に我慢を強いてとも言いません。

 

これは私の経験上の話になりますが、

暴力を振るう利用者のほとんどは、

その時の状況が理解できない=不安・恐怖

目の前の人が何者かわからない=警戒

オムツ交換などの介助の目的が理解できず、嫌だと思う気持ち

これらがあるのかなと思います。

(それについて書いた記事もあります⬇️)

www.kaigobilly69.net

 

自分に置き換えて考えれば、

「まあ、いきなりズボン下ろされれば嫌だよなぁ」

って思います。

 

そういった理由、背景を検証したうえで、それでもなお利用者や職員に危害を加えるのであれば、

それはもう医療の範疇かなと思います。

 

ただ、セクハラについては別と思っています。

(認知症が引き起こす性的異常行動とは別のものです。)

 

認知症の有無に関わらず、元々の性格が穏やかだったりする人は性格は穏やか。
ブラシを歯ブラシと間違えたり、おしぼりを食べようとしても、言葉使いや立ち振る舞いの変化はほとんどありません。
(あるとしたら記憶障害による行動の変化)

 

これも経験則になりますが、セクハラをする人は大体妻や娘、部下を目下にみているような人。
加えて男尊女卑の時代を生き抜き、時代背景的にセクハラという認識がないといえます。
元々そういうことをしない人はしないし、する人はする。
そういう意味では確信犯といえると思います。

 

だから万が一セクハラをしてしまった場合は毅然とした対応をし記録をとる。
それは「認識、区別が付いている」と私は思っているから。

セクハラは病気の有無に関わらずやってはならないことです。

 

ただ、自分の父、母、祖父、祖母がセクハラをして家族が悲しい思いをしないように、

同性介助を行うなど、あらかじて先回りして予防線を張っておきます。

 

それは利用者本人、家族に対しての「配慮」です。

自分を育ててくれた家族が職員に暴力やセクハラをしていたと知るのはショックだと思うから。

 

「病気だろうが何だろうが暴力もセクハラも許さん!」

それはまあそうかもしれませんが、

利用者が「そういうことをしない」環境を作っていく必要があると思います。

 

ロクに情報集めもせずアセスメントもせず利用者だけを責めるのもまた違うと思います。

 

おわりに

私は仕事に自己犠牲は必要ないと考えていますが、そうでない考えの人ももちろんいます。

 

ただお互いがそれを押し付けなければいいんです。

中には自分と考えが違うからといって、

「介護職を辞めた方がいい」

なんていう人もいました。

 

あまりにも事業所の理念、方針から逸脱してれば話は別ですが、

「人は人、私は私」

で、目の前の仕事を粛々とこなしていればいいと思います。

 

 

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