私は特養経験が長いのですが、職員による利用者への言葉使いが雑な人を多く見かけます。
誰もそれに疑問を感じている様子はなく、何でだろうと思いました。
なので、言葉使いについて書いてみようと思います。
なぜ介護業界の言葉使いの乱れが目立つのか?
別に介護業界に限った話じゃないし、どの職種も言葉使いの乱れはあると思いますが、今回のテーマは「(一部の)介護業界の言葉の乱れ」なので、主語は大きいですがこの表現にしました。
まずは「なぜ、言葉の乱れ(タメ口など)があるか」
を考えてみました。
介護の仕事はサービス業と呼べますが、
スーパーやデパートなどと違い、物を売ってハイ終わりではなく、お客さん(利用者)の生活全てを支えており、利用者との距離感が近いといえます。
なのでその分、タメ口はどうかとは思うけど多少は態度がくだけやすくなるのではと思います。
例えば、よく行く服屋や楽器屋、飲み屋などは常連にはくだけた態度のお店もありますよね。
アパートの大家さんだってそう。
加えて、利用者は理解度、判断力が低下してることが多く、できる限りシンプルな言葉の方が通じる場合もあります。(全部がそうじゃないですよ!)
更には「家庭的な環境を」という方針の増加。
アットホームや馴染みの関係を前面に出した結果、くだけた態度がいいんじゃないかという考え方の出現。
良いか悪いかは別として、そういう歴史、教育もあるからだと思えます。
利用者への言葉使いは「丁寧語に統一」が良い
私は、利用者への言葉使いは
「丁寧語」
が大原則だと思っています。
主な理由としては、
・他人だから
・お客さんだから
というのがあります。まあ、そのままの意味ですね。
他の業種でタメ口が当たり前のように飛び交う現場は聞いたことがありませんし、
街中で他人と話すときも、いきなりタメ口ということはないはずです。
敬語じゃなくていいんですよ。
高齢で認知症などの病気もあれば長文は理解しずらくなりやすいので。
「丁寧語」でいいんです。上司と話すような感覚でいいんです。
乱れた言葉使いを良しとする意見4選
しかしこういう話をすると大体言われるのが、
①「タメ口の方が通じる」
②「くだけた言葉の方が親しみがあって良い」
③「堅苦しい」
④「忙しいからつい…」
などです。
私はこれには賛成できません。
①タメ口の方が本当に相手に通じるの?
「タメ口の方が通じる」についてです。
そういう主張の職員は大抵大きな声での声かけや、何度も同じ話をしてます。
(「立ちますよ」→「立つよ」→「立って!」みたいな感じ)
試しに丁寧語で大きな声でゆっくり話してみてください。耳が聞こえて言葉が理解できていれば何かしらの反応があるはずです。
もし本当にタメ口の方が通じて、なおかつ良い反応があるなら、個別対応としてケアプランに組み込んで同意を得てください。
上司や家族の前では急に丁寧語になっていませんか?
もしそうなら、本当は「良くない対応」と自覚しているということです。
②くだけた言葉の方が親しみがあるの?
「親しみ」とは誰基準でしょうか?
相手からそういう希望があれば話は別ですが、そういう方の方が少ないのではないでしょうか?
また、サービス提供者と利用者の関係です。家族でも親類でも友人でもない他人です。
一定の線引きは必要です。
それと、くだけた言い方や冗談、ブラックジョーク等については、たとえ利用者は笑っていたとしても、本心はどう思ってるかわかりません。
ましてや自分の子供や孫のような世代の職員です。
職員としては冗談のつもりでも、利用者はそう思うとは限りません。
そしてそれを目にする家族も。
そんな親しみがあるかどうか不安定なものならば、丁寧語の方が無難だし、顧客相手の仕事としてふさわしいのではと思います。
③丁寧語は堅苦しいの?
何も難しい言葉を使いましょうということではありません。それこそ、自分の先輩、先生、上司に使うような言葉(丁寧語)で良いです。そこからその人にとって聞こえのいい話し方に微調整していけば良いのです。
例えば、自分の部下や後輩などに丁寧語で話されて、
「あー!堅苦しい!」て思う人がどれくらいいるでしょう?
④言葉の乱れを忙しさのせいにしてない?
「〜しますよ」も、「〜するよ!」も、言い終わる時間はそんなに変わりません。
また、
ちょっと気難しい方や苦情を言うような方が相手だと、どんなに忙しくても丁寧語になっていることがほとんどです。
ということは、
「この人なら大丈夫だろう」という心理が無意識のうちに働いてるのではないでしょうか。
実際、くだけた…というか、乱れた言葉使いの相手は、認知症状があったり、寝たきりの方だったり、反応が鈍い方がほとんどではないでしょうか?
丁寧語が必要と思う理由
こういった反論(?)もありますが、
丁寧語が必要だと思う理由は他にもあります。
個人的にはこちらの理由の方が大事だと思っています。
①ケアの一定の質の維持
職員はそれぞれ年齢、性別、環境、考え、技術が様々です。
仮に、くだけた言葉使いでも利用者にとって良い反応や結果を出せる人がいるとしましょう。
しかしそういう人は、言葉使いだけでそうした結果を出せているのではなく、
踏み越えてはいけない一線を理解できる知識、技術、経験をもち、
人柄、雰囲気が良く、
それらを自然に出せる
ことができるのではないでしょうか。
くだけた言葉使いだから良いわけではなく、それは手段の一つなのです。
くだけた言葉使いを一律で認めてしまうと、
「タメ口で話していいんだ」
と、そんな一部の職員の表面だけを真似た職員が出てきます。
表面だけを真似た人に良い結果を出せるわけもなく、相手に不快感を与えることにつながります。
それが施設全体に広がることになり、
「モラルの低下」
というデメリットしか生まれません。
なので、どんな職員だとしても、丁寧語で統一すれば、最低限の接遇は守られるということになります。
つまりはケアの一定の質が守られるということです。
②言葉の乱れは業務態度の乱れに直結する
これは例をあげてみます。
「●●さん、車椅子前に押しますね」と言いながら優しく車椅子を押してみてください。
特に意識したり考えたりせずにできると思います。
次に、
「動くよ!」とぶっきらぼうに言いながら雑に車椅子を押してみてください。
これも特に意識せずできると思います。
それでは次に、
「●●さん、車椅子前に押しますね」と言いながら雑に車椅子を押してみてください。
ちょっととまどう瞬間があると思います。
更に、
「動くよ!」と言いながら優しく車椅子を押してみて下さい。
これもちょっととまどう瞬間があると思います。
イメージがわきましたか?
これらの例から、
「言葉使いと態度は比例する」
ということがわかります。
言葉使いを丁寧にすれば、ケアも丁寧になり、前述した「ケアの一定の質が保たれる」ことにもつながります。
普段の言葉使いが雑な所は、普段の仕事も雑になっている可能性が高いです。
言葉が乱れることで態度も乱れ、「ここまでなら大丈夫」といったラインがどんどん超えられ、不適切なケアとなり、最終的に行き着くところは虐待です。
しかも、それを自覚なく無意識のうちにやってしまっているという最悪な状況となります。
昨今話題となっている虐待事例も、当事者は最初は虐待をしようと思って入社したわけではなく、普通の職員だったと思います。
それが徐々に感覚が麻痺し、
「疑問に思うこと」が疑問すら持たなくなり、あのような結果につながったのではないでしょうか。
虐待につながる最初のきっかけが、理由のないくだけた言葉使いなのだと思います。
また、介助が多少未熟でも、言葉使いがとても丁寧だと相手に大きな不快感を与えない可能性も生まれます。
そちらのほうが利用者と良い関係性を築けるかもしれません。
新入社や異動で利用者と関係性をまだ築けていない場合は有効でしょう。
認知症の方などは特に、何の工夫も配慮もない馴れ馴れしいだけの言葉使いで対応しようとすると、
かえって不安感を与える可能性もあります。
相手からすれば
「気づいたら知らない場所にいる。不安だ。あの人は知らない人だけど随分馴れ馴れしく話しかけてくる。何?」
という印象を与えてしまい、それがいわゆる「周辺症状」につながることもあります。
私もそういった経験がありました。
おわりに
言っておきますが、別に介護職や介護業界のレベルが低いからタメ口になるんじゃないですよ。
確かに態度が悪い職員はいるでしょう。
けどそれはどの業界もそうだし、役所だって態度悪いのは一定数いる。
何故介護「だけ」を特別悪いといえるんでしょうか。
また、利用者の中には、前述したようにくだけた言葉の方が理解できたりする場合もあります。
その「乱れた言葉使い」の中にはアセスメントのうえで、あえてそうしているケースもあります。
何も知らないで介護は低レベルだのと偉そうにあーだこーだ言わないでください。
緻密な計算のうえでの行動なんですよ。
いや、そういうことを吹いてまわる一部の人たちには、
「くだらねー事言ってんじゃねーよ阿呆」
かな?(笑)