介護の仕事は多岐に渡ります。
その中には、皮脂や排泄物や食べこぼし、時には痰や吐物の処理にあたることもあります。
あと意外にあるのが、食事やトロミ入りの飲み物がくっついてそのまま乾いてカピカピになった車椅子やテーブル。
(あれ取りにくいんですよね…)
で、こういった業務を
「うわっ、汚い!」
と、敬遠するような言動や態度を取る人がたまにいます。
私の周りにもいましたよ。そういった業務を上手くかわす人。
ネットでも見かけましたね。
思うのは自由だけどそれを言葉や態度に出すなよって正直思いました。
別に、
「汚いって思うなんて介護職失格!」
なんて言うわけではありません。
決してキレイなものではないし。
が、いい機会なんでちょっとその辺りについて考えてみました。
汚いってどういうこと?
私が考える介護業務での「汚い」とは、
清潔か不潔という意味合い
です。
いわゆる「うわっ!きったねー!」と嫌がったり避けたりするものとは違います。
不潔なものということは、感染のリスクなどがありますよね。
排泄物、痰、唾液、血液…
更には、床や使用後の浴槽、テーブルなども。
でもこれって「きったねー!」と忌み嫌われるものではなく、
不潔さによる細菌やウイルスの繁殖、そこから考えられる感染症などのことを考えて、速やかに処理するものだと思っています。
「嫌だ、汚い」と避けるものではありません。
ここの違いです。
汚いという考えは利用者の変化を見落とす可能性がある
「汚い」という気持ちが先行しすぎると心理的な抵抗感が増し、利用者の普段の状態やその変化を見落とす可能性があります。
いくつか例を出してみましょう。
①食事の食べこぼし
食事中、食べこぼしや唾液の流出がひっきりなしにあるとしましょう。
この場面について、
「うわー、汚い。嫌だなー。」
という気持ちが強ければ、なるべくその介助を避けるか、溢れた食べ物や唾液はすぐに拭き取ったりするでしょう。
汚したくないし、汚いから嫌だし。
でもこれを注意深くみていけば、
姿勢が不適切なのかもしれない。
テーブルの高さや食器が合っていないのかもしれない。
食事の形態が合ってないのかもしれない。
身体の動きに不自然な所はないか?
等、
「なぜ、この状態になるのか?」を考え、その後の対応に繋げることができます。
ここに気づかないと、いつまでもダラダラ溢してしまう食事の日々が続き、嫌だなーとすぐに食事を下げられたり、
気がついたら誤嚥してた…
なんてことも考えられます。
②排泄物の臭いや色、見た目
トイレでもオムツでもいいですが、排泄介助に入る際
「うわー汚いなー。」
という気持ちが強ければ、排泄物なんて見ないし、なるべく排泄介助にも入りたくない…
なんて思ってしまいます。
排泄物には様々な情報があります。
一例ですが、
オシッコの色が濃ければ脱水の可能性、
ウンチの中に野菜などがそのまんま入ってれば、献立表と照らし合わせてその野菜が入った日を特定でき、その利用者の排便リズムが掴める。
黒っぽいウンチなら内臓からの出血が疑われ、
鮮血がついていれば痔を疑える。
いずれもすぐに医療につなげることができます。
これを汚いと嫌がってれば、こういった気づきにも繋がらないでしょう。
だって汚くて嫌だから見たくないだろうし。
汚いからと嫌がるのではなく、清潔な環境にするんだと考えよう
先にあげた食べこぼしや排泄物、床やテーブル、浴槽の汚れなどを
「汚いから嫌」なのではなく、
「不潔なものを取り除いて感染などを防ぐ」
と考えてはどうでしょう。
つまり言ってしまえば自己暗示です。
「汚い、バッチィ」という考えでは、どうしても身体が拒否的になってしまいます。
結果としてその業務を避けたり、処理が雑になったりして、細菌やウイルスの温床になります。
結果として利用者にも事業所にも悪影響です。
大体、体内から出てくる時点で清潔なものじゃないんですよ。
何かしらの菌などが付いてて、それが臭いや見た目などに繋がってる。
食べこぼしだろうが排泄物だろうが一緒だと思います。
ただ、強い臭いや特定の臭いは体調を崩すくらいどうしてもムリ…ていう人もいるので、
この考えを押し付けるつもりはありませんが。
おわりに
どうしても不潔なものは苦手だという人はいると思います。
不潔なものを素手で触るのは御法度なので、
手袋をしてビニール袋に入れたり、
臭いに対してはマスクなどがあれば少しは心理的な抵抗感も弱まるのではないでしょうか。
介護の仕事についた以上、汚い(不潔な)ものの処理は避けて通れません。
であれば、少しでも心理的な負担をやわらげるため、
こういった工夫をしたり先にあげたような、「考え方を変える」ことが、
克服する近道なのかもしれません。
清潔と不潔をしっかり判断するとともに、
汚い汚いと目を背けるんじゃなくてね。