介護施設、特に特養は、
看取りケア
を行なっていることが多いと思います。
徐々に食事や水分がとれなくなり、体力が落ち、近いうちに最期がおとずれる…
それに対しできる限り身体・精神的な苦痛を緩和し、最後まで尊厳のある生活を支援していく。
そこには本人や家族の意向・心身状態・その他諸々の要素が複雑に絡んでくるため、勿論対応は人それぞれで、神経を使うこともあると思いますが、
反面、最期が近いからこそ取り組みをいっそう頑張ろうと思う場合もあります。
ただ、
「看取りだから」たくさん声かけしよう
「看取りだから」身体を清潔にしよう
「看取りだから」口腔ケアをしっかりしよう
「看取りだから」部屋にアロマや音楽をかけよう
というのはちょっと違うと思います。
アロマは別としてこれらは普段から意識しておかなければならないことだし、
アロマやCD、他者との交流や外出などは、看取りになる前の方がやりやすいはず。(本人の好みであれば)
逆に看取り対応になってから行おうとする方が難しくなってきます。(特に外出や活動面)
声かけや交流に関しては、
具合が悪いのに家族でもない人たちに入れ替わり立ち替わり声をかけられるのって逆に苦痛だと思います。
かえって「そっとしといてほしい」って思ってるんじゃないかと思います。
かといって元気な時にこれらの取り組みを行おうとしても、
体調を崩すと悪いから…
何かあると悪いから…
今すぐしなくてもいいんじゃない?
今日は人がいないから…
他の業務もあるし…
という、謎の抵抗勢力に阻まれます。
今まで散々そう言ってきて伸ばし伸ばしにして、看取り対応になった途端、やろうとしても遅いです。
挙句、看取りの振り返りの時に、
「もっと●●しておけばよかった」
なんて意見が出るんです。
ここまでくると茶番にしか思えません。
そう思うなら何で元気な時にやろうとしないんですか?
と思います。
こんなやりとりを何度も見てきたんですよ…
これは私の個人的な考えですが、
私は看取りケアは「特別なこと」とは思っていません。
普段の生活の延長線上にあるものと思っています。
利用者は個々の事情や病気等はあれど意思を持った一人の人間です。
習慣や好み、こだわり。色々あるでしょう。
腫れ物を扱うような対応や過度なお客様意識は必要ないし、生活もガチガチに管理・制限はされたくないでしょう。
最低限の礼儀・マナーを心得て、
本人の生活歴や性格等を考慮し、
アセスメントに基いたケアプランのサービスを提供する。
つまり、状態に応じたケア・対応をする。
これに尽きると思っています。
仮に心身状態が低下し、食事がとれなくなる期間が続いて、看取りの時期になっても、
「状態に応じたケア・対応をする」
だけで、特に難しく考えたり特別視はしていません。
強いて言うなら家族の気持ちを察したりすることでしょうか。
心境を考えたら迂闊にやたらなことを言えないので。
看取りの時期になってはじめて、
「皆で過ごすのが好きだから体調見て起きて過ごしてもらおう」
「出かけるのが好きだから何とかして外出しよう」
「部屋で一人でいると寂しいだろうからアロマをたこう」
「ラーメンが好きだから最後に少しでも食べてもらおう」
などと、慌てて情報を見て、元気な頃より達成することが難しいようなことをやろうとするのではなく、
元気なうち、
というか入所してから本人の意向や趣向に少しでも沿ってあげたいと思っています。
広い意味で考えれば、
「入所してから看取りは始まっている」
と思います。