〜もくじ〜
介護現場では日常的に専門用語や略語が飛び交う
介護現場では、沢山の専門用語や略語が飛び交います。
それは職員同士の報連相をスムーズにしたりと、
仕事に大いに役立つことでしょう。
しかし、この専門用語や略語、間違った解釈や使い方で、利用者を傷つけたり、
利用者を軽視することと同義となる場合があります。
よく使われる言葉を例に出して解説します。
事例①認知(ニンチ)
「今度利用予定の人、ニンチある?」
「●●さん、ニンチどれくらい?」
「ああ、あの人、ニンチだからね」
こういった言葉、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
認知症としての意味
何となく予想がつきますが、この「ニンチ」という言葉、
「認知症がある」
という意味で使われることがほとんどです。
でも、この「ニンチ」という使い方、
そもそも日本語として使い方が間違ってます。
「認知」という言葉は、
物事を認知する、つまり何かの事柄を認めるという意味や、
婚姻関係のない子供を自分の子だと認める
といった意味です。
専門職なのに専門用語以前に日本語の使い方が間違ってます。
ニンチという言葉の使い方が招く危険性
認知症のことを、
「認知(ニンチ)」
と表現することですが、
これには多くの危険性があります。
何気なく使っている言葉で、いまいちピンとこないかもしれませんが、
・利用者を見下す、もしくは軽視している
・差別的な表現
・相手(特に家族)不快感を持たれる
などがあります。
例えば自分の家族が認知症を発症したとして、
「●●さん、ニンチがありますね」
と、
「●●さん、認知症を発症していますね、」
とでは、感じ方はどうでしょう?
違和感感じません?
仮に私の家族に対して「ニンチ」なんて言われたら、
即苦情入れますよ。
「アナタ達は認知症というフィルターを通して父(母)を見てるんですか?」
ってね。
もうひとつ。
ケアカンファレンスの時、
「●●さん、ニンチあるからねー」
と、
「●●さん、認知症を発症してるので」
とでは、話し合いの質はどうでしょう?
おそらく前者の話し合いは雑になっていたり、
利用者自身を見ておらず、
「認知症があるから●●できない」
などと、認知症だからという思い込み、決めつけが多くなっていると思います。
そうなると、利用者の行動や言動全てが認知症の行動として映ります。
本当はできることでも、「たまたまできた」
とかね。
そしてアプローチの仕方を も考えず、ケアの手法は狭まります。
そうなると大体、「全介助」になりますね。
その人のニーズを導き出すことを無意識のうちにしなくなるんです。
自分達で利用者の「できること」を奪ってるようなもんです。
事例②「指示が入る」
介護現場でのやりとりや記録などで、
「●●さん、指示が入らない」
といった表現を見聞きしたことはありませんか?
これにも違和感があります。
我々の仕事は、利用者に「指示」するものではありません。
これについては、「声かけ、誘導」などを指していることが多いですが、
だったらそう言えばいいじゃんて話です。
また、医療職、特に医師の「指示」という表現と混同、もしくは真似たものかもしれませんが、
あちらの場合、「医療的な指示項目」であり、
そもそもの意味合いが違います。
表現を真似する必要はないし、かえって接遇面での誤解を生むだけです。
不適切な言葉は虐待の第一歩
こういった表現をするということは、
無意識のうちに利用者を
「見下している」
「差別している」
のではないでしょうか。
それは徐々に言動、行動となって表れ、不適切ケアとなり、
いきつく所は虐待です。
大げさ?いえいえよく考えてみてください。
時々ある介護従事者の虐待報道、
当事者の職員は、虐待を何とも思わないようなサイコパスな人間だったんですか?
仕事のストレスもあるんでしょうが、日頃の不適切ケアがエスカレートした結果じゃないでしょうか?
その証拠に、認知症を持っていない利用者にはそういうことをしてないですから。
感覚が麻痺して、
「ここまでだったらやっても大丈夫」
ていうラインがどんどん上がっていったんじゃないでしょうか。
言葉遣いはそれだけ大事であり、危険な要素を含んでいるんです。
⬇️関連記事
おわりに
専門職が意味を取り違えた「専門用語」を使うくらいなら、
いっそ使わないほうがいいです。
「ニンチ」も「認知症」も言ったり書いたりするのに時間の差なんて微々たるもんです。
自分が「ニンチ」「指示が入る」などといった言葉を使った時、自分の心境はどうだったか、
考えてみるといいでしょう。
※ランキング参加中!クリックしてもらえると励みになります!