仕事中で同僚、先輩、後輩と話をする中で、
「だって●●さんかわいそうだから!」
「かわいそうだから●●しなきゃ!」
という話を何度か聞きました。
この話を聞くたびに引っかかっています。
本当に「かわいそう」なのかと。
利用者は「かわいそうな人」なのか?
100歩譲って、
「今までできていたことができなくなり、生活に他者の手を借りなきゃいけないほど弱ってしまったという現実」
ということに対する「同情」のことをかわいそうだと表現してるのなら、気持ちとしてはわからなくもないです。
でもここで気になる部分があります。
かわいそうという表現に対する懸念
かわいそうという表現は場合によっては危険です。
専門職としての眼を曇らせ、思い込みにつながり、
利用者の望んでいない不本意な介護につながる可能性があります。
①かわいそうかどうかは誰が決めるのか
「かわいそうだから」って言葉、どうも引っかかるんですよ。
だって、
かわいそうかどうかは個人の主観だし、
その「かわいそう」度合いも個人の主観でしょう。
本人は今置かれた現状に悲観的なのか?
本人が先に挙げたような内容の対応を望んでいるのか?
だいたい、本人の気持ちを知ろうとしたのか?
家族がいないってかわいそうなの?
そういうのって職員側の「思い込み」なんじゃないのか?
「かわいそうだよね?きっとそうだよね?」
と。
そう思います。
②かわいそうという言葉の裏
「●●さんがかわいそう」という考え方ですが、
・これは無意識のうちに利用者を下に見ており、「憐み」のような感情
(この言葉も、目下の人に対しての表現だし)
・(表現が大袈裟ですが)かわいそうだから施しを与えねばならない。
・あなたたちはかわいそうな人だから、黙って私の介助を受けてれば間違いない。
というような思想が見え隠れします。
これはつまり、心の中で無意識に利用者にマウントをとっているとも言えます。
するとそれは無意識に態度に現れる。
言葉遣い、態度、介助の質…
ちょっと利用者が不満や介護拒否、暴言暴力などがあると、
「私が●●してあげてるのに叩くなんて!」
というような感情が芽生えかねません。
不適切ケアの入り口です。
万が一そうなると、
介護保険の目的も専門職の配置目的もその職務も無視された、
ただ感情に支配されただけの仕事と化してしまいます。
根拠も統一性もないそんな不安定な仕事では専門職とはとうてい言えないし、思われないでしょう。
かわいそうという言葉を盾にした対応の例
「●●さんは家族が差し入れ持ってくるのに、△△さんのところには来ない。△△さんがかわいそう。だから●●さんの家族に差し入れを持って来るのを控えてもらおう」
「●●さんは行事に出て写真を撮ってるのに△△さんはほとんど出てない。△△さんがかわいそうだから行事の小道具持って写真だけでも撮ろう」
「●●さん、いつも部屋にいて、他者との関わりがない。ひとりでいるのはかわいそうだから長めに起きてもらおう」
「●●さん、転倒のリスクがあるのに歩かせている。かわいそうだから車椅子にしよう」
「他の人は食後休んでるのに、●●さんだけ起きている。ひとりでかわいそう。●●さんも休んでもらおう。(もしくは、何人か起こしておこう)」
「皆ご飯食べ終わってるのに、●●さんだけ終わってない。一人で食べててかわいそう。皆と同じに終わるように介助しよう」
「●●さん、家族いなくてかわいそう」
…まだまだあるけど、この辺で。
全てが、「かわいそう」と言う言葉を盾に、
自分が、自分たちがやりたいような対応をしようとしているように思えます。
それが本当に利用者のためなんでしょうか?
かわいそうという考えがもたらすリスク
この「かわいそう」という思い、
これは人によって捉え方や「かわいそう」の度合いが違います。
そのせいで人によって声かけや介助の質や量に差が出てしまいます。
下手するとケアプランもマニュアルも無視です。
「そんなことより、かわいそうだから●●しなきゃでしょ!」と。
利用者のことを知ろうとせず、かわいそうだと決めつけて、無意識にマウントをとる。
そして自分の思い込みによる介助を行う。
傲慢だと思います。
「かわいそうかどうかなんて、アナタが勝手に思ってるだけでしょ?それがケアにどう関係あるの?」
そう思います。
おわりに
極端に言ってしまえば、
利用者をかわいそうと思うかどうかは仕事には関係ない
と私は思います。
「かわいそう」というのは個人の勝手な主観だからという理由もありますが、
我々の仕事はかわいそうな人を憐み「助けてあげる」ことではありません。
利用者一人ひとりの歴史、本来したかったであろう生活及びそれを阻害する要因、現在その人がおかれている状況など…
それら全てを汲み取り、利用者の生活を支えるもの。
「●●さんには今どういった支援が必要か」
を考え実践し振り返る。
つまりは「自立(自律)支援」なのです。
「かわいそうだから●●しなきゃ」
というような感情によるものではなく、
「●●さんには●●の理由で●●のケアが必要だからやる」
という考え方のほうがふさわしいのではと思います。
繰り返しになりますが、
感情だけで動くなら専門職とは言えないと思います。
何のためにわざわざ資格として認定されてるんでしょうか。