今日は自立・自律に向けたケアとリスク管理の関係について考えていきたいと思います。
こんな事例ありませんか?
- 過去に転倒・転落をした、もしくはしそうなため、歩ける可能性があるけど車椅子対応
- 一度むせたから食事形態を下げる
- 前に部屋で落ち着かなかったからセンサーを設置する
などなど…
その対応自体はいいんです。
ただ、
現在と状態が違っているのに
過去の事例からの対応がそのまま続いているのが疑問なのです。
実際、対応が続いている理由を聞いてみると、
- 前に転んだから
- 前にむせたから
- 最近は大丈夫だけどいつ何があるかわからないから念のため
- 高齢者だから無理させないように
というような答えが返ってくることがほとんどです。
この考え方に疑問があります。
そういう対応が必要な場面も確かにあります。
が、
その原因分析もせず、それがずっと続くと利用者の状態は更に低下していくでしょう。
その時だけの対処方法で、
その時だけの感情で、
「何かあったらどうするの?」
だけでは、
- 利用者の状態は低下し
(介助量の増加に伴い、本来使える機能を使う場面が減る
- 職員は疲弊し
(介助量の増加・センサー対応)
介護保険法に位置づけられている
「自立(自律)に向けた支援とかけ離れてしまいます。
何のために色々な専門職がいるのでしょうか。
それぞれの専門性を活かし、一時的に最初に書いた対応をしたとしても、
- なぜ、その状態になったのか
- それはいつからなのか
- 現在の状態はどうなのか
- 対応を変える(前の対応に戻せる)可能性はあるか
- それを始めるとしたら、いつからいつまで、どの部分を重点的に観察し、評価するのか
- 今後起こりうるリスクと、そのフォローは可能か
- その対応が今の人数、環境で可能か
などなど、じゅうぶん議論できます。
色々な専門性をもつ人たちが集まっているのですから。
相手は様々な病気や個性をもった高齢者です。
徐々に衰えていくのは自然の流れです。
ですが、原因を調べもせず、
現在の状態と照らし合わせもせず、
過剰なケアをしていませんか?
それが時には衰えを助長することにもつながります。
いまいちど、
- そのセンサーは必要か
- ミキサー以外にアプローチできる可能性はないのか
- 尿意があるのにオムツにしていないか
- 立てるのに車椅子にしていないか
- それらの原因・理由は明確なのか
振り返ってみてはいかがでしょうか。
補足です。
昨今の訴訟事情はご存知だと思います。
最近だと、
- おやつを詰まらせた
- トイレで転倒してその後食事がとれなくなった
などがありますね。
私たちは報道されている部分しか知ることができないので、関係者の心境や関係機関の環境などはわからないので、内容について意見する気はありません。
が、
こういった世間の風潮も、
「何かあったら…」という考えに拍車をかけ、
いわゆる
「守りに入る」「無難にまとめる」
といった流れになってきていると思われます。
気持ちは十分わかります。
しかし、日本全国数多くの事業所があり、
その中で毎日毎日膨大な数の事故が起こっているわけではないでしょう。
事故が起こっている日より起こっていない日の方が多いはずです。
更に、その起こった事故の件数の中で、
訴訟に発展するような大きなものであったり、要望の多い家族がいるケースというのは更に少ないはずです。
であれば、
常日頃から家族に対しコミュニケーションをとり、その時その時の状態を伝え、改善の可能性があるならそれも相談し、情報を共有していけば良いと思います。
家族からしても、ずっと連絡も何もなかったのに突然
「骨折しました」
「亡くなりました」
の連絡がきてはビックリして当然だし、何か落ち度を疑いかねません。
これも経験があるのですが、
施設に入所時は歩けていたのが、翌年には車椅子が必要な状態になり、プランの更新で来た家族に
「デイサービスでは元気だったのにどうしてこんなになったんですか?」
と、責められたことがありました。
反面、こまめに連絡を入れていた家族のケースでは、
骨折が起こった時も状況説明をきちんと行ったことで、理解してもらえました。
家族の知識量による差はあるとは思いますが、
そういう細かなコミュニケーションをとっておけば、いざという時お互い楽になります。
家族も巻き込んだケアを行うことで、
利用者には安心感、
家族には「ケアに参加している自覚」
が得られます。
(私のケアマネ時代、サービス内容に利用者本人が行うもの、家族が行うものを入れていました)
うまく家族の理解・協力をとりつければ、これほど心強いものはありません。
なるべく前向きに、少しでも自立・自律に向けた支援ができるといいですね。